モノローグ 2

ようやくと言って良い。
随分僕自身冷静になって来た気がする。
その身体や心が解凍されてきた分、疲労感を感じる。
とはいえ、普通に生活して普通に仕事をしているだけでもどんなに幸せな事か。


楽家達のチャリティコンサート花盛りである。
自粛から萎縮、そして顰蹙とまで言われたコンサートは、震災直後からは想像つかない復興を感じる。
だけど、これは個人的な考えで多くの批判をもらうかもしれないけど、義援金はもうそろそろ終わりにした方がいいんじゃないかなと思っている。
ちゃんと統計等をとったわけじゃないけど、ほとんどの方がすでに何らかの形で義援金だったり、支援をしたりしていると思うし。
これからはこういう事に協力したい、というピンポイントで自分の出来る事をやって行きたいと思う。


日本中の人が寄付をしてなんとかなる程この震災は小さくない。でもその寄付の中には金額ではなく、尊い気持ちが込められている。それが是非届いて欲しい。そして後は政府が責任を持ってやって欲しい。もちろん原発は東電が全てを負ってくれないと困る。そしてやっと僕たち音楽家が演奏で貢献出来るときが来ると信じている。

僕は原発に対して反対でも賛成でもない。ずるいけど、これが事実。だって電気を当たり前の様に使ってきたし。でも人間が処理出来ない物を作ってはいけないとも強く思うから。
「想定外」という言葉が常に語られるけど、それを東電や政府が言ってはいけないし、それを報道してもいけない。免罪符として「想定外」を乱発している気がする。
日本の首相には辟易してる。「臨界ってなんだ?」という無知は専門的な事だから仕方ないと思うけど、
「全力で取り組んでいる」
「私の指示の下、、、、」
「今やれる事は全部やっている」
まあ自分がいかに頑張っているかをああいう公の場所で語るほどみっともない事はない。そういう人僕の周辺にもいる。また自慢かよっていう人。
民主党は期待をしたけど、政治家以前に人として未熟さを感じるのは僕だけなのかな?兎に角想像力が皆無。
まずは地球というみんなの物に放射性物質を流してしまって申し訳ないの一言を言ったらどうだろう。全て保身。謝らないのは責任を負うのが怖いだけでしょ。情けない事この上無し。


2月の終わりぐらいから、川柳を書くためだけにツイッターを始めたけど、今や僕はニュースや情報の全てはツイッターで得ている。その中の「自由報道協会」や「上杉隆さん」等々のフリーのジャーナリストの書く事を読み、そこが主催する記者会見などをネットで見る。そうしていると、いかにテレビが何も伝えてないかがわかる。そして1日半ほど遅れて新聞にその記事が出る。驚愕するほどテレビは都合の悪い事は放送していない。それが今回わかってしまった。
ツイッターの中での事がすべて真実だとは全く思っていない。でも僕はそこから何が真実で、何がデマかを嗅ぎ取れるようになりたいと思っている。

まずは隠蔽する事無く政府、東電は状況を正直に知らせなきゃいけないと思う。それが責任だと思う。あまりに今は隠蔽が多過ぎる。
ツイッター上で当初
「煽る事を言うな」
「無責任に事故を大袈裟に語るな」
など批判を受けて来たフリーのジャーナリスト達の話が全て現実になっている。
むしろそれよりも酷いぐらいの状況にまでなっている。
政府には「ただちに人体に影響しない・・・・」という安全デマではなく、真実を兎に角話して欲しい。

これからどうなるか本当にわからないけど、強く生きたいものだな。
4月21日にサントリーホール仙台フィルを支援するコンサートに参加させて頂きますが、これからはまず音楽家の仲間を応援する事をしたい。被災していない我々だって今後はイバラの道が待っているだろうし、とんでもなく厳しい時代はもうすぐ先に見えているけど。

今日室内楽のリハーサルに行きシューベルトをやったけど、僕らの演奏はマイクロシューベルトなのか、ミリシューベルトなのか、非常に気になる所だ。1000倍違うからな。

避難所にいる方々、命を顧みず最前線で頑張っている方々の身体を案じながら、また祈りながら。一緒に頑張って闘いましょう。