日常は大事だな

最近はエチュードと音階に時間を割く事が多いです。
だから何?っていう感じですが、これが意外に侮れんのよね。
忙しいと、その時々に練習しなきゃいけない曲に追われて基礎的な事がおろそかになっている事が多い。
もちろん今も練習しなきゃいけない曲はあるけど、この年齢になると限界が見える。
だから誕生日の時に来た友人のメールの助言を守ってやっている。
大震災の後は、その酷さを忘れる為に、その勝てる筈もない大自然に対しての怒りを鎮める為にこんな地味な練習で毎日が過ぎている。


「この曲が弾けない!」
「この音がどうしても取れない」
という事は日常茶飯事で、むしろそれを克服する事に喜びを感じたりする物だけど、この指のトレーニングのエチュードや音階はあまりに単純作業な為にちょっとした事が致命的で人体に与える影響が大きく、大きく凹む。
まあ基礎力がないという事を思い知る訳で、情けない毎日。


前回のブログで「グルメではない」という事を書いたけど、あの書き方は「俺はグルメだ」と言わんばかりだという指摘を受けた。弁明を聞いて欲しい。

とあるオーベルジュのオーナーと話していて、彼は瀬戸内海の島で生まれ育ったらしく、松山市に来た時、魚を食べたらとてもじゃないけど不味くて食べられなかったと言ってた。僕にはそれがわからないと思うんですよ。

またある時に、あるバリトン歌手と食事をした時に彼が突然そのお店の店主に「あっ、新米になったね。いつから?」と普通に会話をしているのを聞いて、こういう人がグルメだと思ったんですよ。僕は多分2種類食べ比べればわかるかも知れないけど、1種類だけでは全く自信がないですから。

松本で知り合いに兎に角現時点で1番好きなお蕎麦屋さんというお店に連れて行かれたけど、そのお蕎麦屋さんが白樺の樹液で蕎麦を打つというお店で、その樹液で打つ蕎麦は毎日限定5食だった。それを頂いたけど、食べ比べる為に普通のお蕎麦も僕は注文させてもらった程だもん。単独で食べて「これは素晴らしい!」とはならない事は目に見えてたし。
でも、当然美味しいものは好きです。しかし、ちょっとでも気に入らないと2口目は手もつけない。そんな訳で僕はグルメとはほど遠いんです。


日常食べている物で、その人の好みや最上の物、最低の物は決まると思います。
チェロも日常の練習で僕の最低ラインも、最高の場所の位置も決まっちゃうんだろうなぁ。ああ恐い。


そうそう、日常が大事だと思う。