音楽がある日常

音楽をなにより愛し、僕のコンサートには欠かさず来てくれたお弟子さんが今、福島県庁の職員として原発の待避所で不眠不休の活動をしている。今日ようやく電話で話が出来たけど、話の内容はとても言えないほどの想像を絶する酷く悲しい話ばかりだった。最後に彼が「落ち着いたら音楽聴きたいです。僕は大丈夫ですから先生は身体気をつけて下さい」と言っていた。
大変な仕事をしているのに人を気遣う彼の優しい言葉が心に響いた。


そんなお弟子さんに心配された僕は名古屋に来ている。
逃げたのではない。もちろん仕事で滞在している。
名古屋と言えば中日新聞。そこには義援金を寄付した方々が掲載されている。聞かされた話によると100万を超える寄付をするとその人の顔写真が載るらしい。
間違いなくそれは被災された方々に使われるだろうし、貴重な寄付金だと思うけど、個人的にはすごく違和感を感じる。
これはあくまでも僕の勝手な想いではあるけれど、義援金だとか寄付金というものはお墓参りと同じだと思っている。
先祖のお墓参りに行ったからって誰も褒めてくれるはずもなく、また当たり前だけど非難される事もない。
要は、気持ちだけなんだと思う。気持ちがあるからお墓参りにいくし、仏壇に手を合わせているだけで、気持ちがなければしなくても誰も非難する事はない。
義援金も寄付金も「私はこれだけ出したんですよ」と世の中にアピールした段階でなにか打算を感じるのは僕だけかな?


3月12日の神奈川フィルのコンサートで団員有志、お客さまにご協力頂いた義援金は神奈川新聞を通じて寄付されたそうだ。
名前も載って。


そんなつもりはなかったのに。
頂いた義援金の集計に僕も立ち会っていたけど、寄付された金額が違うのは何故だろう。僕の記憶違いか?
いずれにしてもコンサートを開いて義援金を頂いた訳で、速やかにオーケストラのホームページに頂いた金額と感謝を、そして次回のコンサートのプログラムでも同じ様に感謝を述べる、それだけで充分だった思う。詳細は神奈川フィルのホームページをご覧になって頂けたらと思う。

お金は本当に怖い。誤解も生まれやすい。だからこそお客さまと団員有志の気持という筋だけは通して欲しかった。残念。そう思っているのは僕だけかも知れませんが。
僕は単純にその福島県庁のお弟子さんはもとより、被災された本当に多くの方々の日常にロック、ポップス、演歌、JAZZ、そしてクラシックと当たり前に音楽の在る生活が一刻も早く戻って欲しい、その一心だけなんだから。