「目標」から「夢」へ

藤沢市民会館でのコンサートでした。
我がオーケストラの演奏会なのに弦楽器のみという編成でのコンサートだった。

演奏家としての経験ってなんだろう?)

そんな事を思いながらの帰り道でした。今日演奏した曲はチャイコフスキーの弦楽セレナーデ、モーツァルトのディベルティメント、アイネ・クライネ・ナハトムジーク等、演奏履歴100回を超す曲達ばかりだった。
例えばチャイコフスキーの弦楽セレナーデの3楽章では〜さんの追悼演奏会で泣きながら弾いたなぁとか、あのあまりに美しいディベルティメントを学生時代ああでもない、こうでもないと険悪になりながらリハーサルをしたもんだ、とか一曲にはもの凄い情報量の記憶が頭ではなく胸に刻み込まれている。


その情報量×奏者の数だから、凄い量の想いがステージには蔓延するものです。
それをも凌駕する音楽をもたらす人が指揮者であると定義したい。
もしくはその情報量を持った奏者達をその情報に浸らせる事の出来る人も間違いなく指揮者という特別な場所に存在できる人であるとも思う。
でも、年齢や弾く回数が増えれば増える程当然思い入れが深くなるし、束縛も強くなる。これは間違いなく経験だけど、むしろ新たなステージに行きにくくなるという弊害を生む事も多々ある。
だからこそ技術が物を言うし、テクニックのみならず耳や、頭の良さやしなやかな感性もテクニックの1つと考える。


家を出るとき「藤沢市民会館」をナビ検索した。
なんと桜上水の我が白亜の豪邸からホールまで42キロと表示されているではないか。ホノルルマラソンを目標にする僕には敏感に成らざるを得ない数字だぞ。環八を南下して第三京浜道路、そして横浜新道から国道1号線。
車でもかなり遠かった。渋滞もなく普通に走って1時間20分ほど。
ラソンの選手は2時間10分ぐらいでゴールする事を考えると、あの人達が同じ人間だと思えない。
そしてこの距離を走らなきゃいけないのかと撃沈。
3年後にホノルルマラソンが目標と豪語したものの、目標から夢に設定を変更。


とは言うものの、目標というとmustな感情が渦巻くけど、夢というとちょっとロマンティックではある。ロマンティストとよく書かれている魚座のA型の僕には丁度いい設定かもしれない。