ついてないと言えば

今日、新幹線に乗りながら仏教の本を読んでいる時に思い出しましたが、奈良の大仏を小学校の修学旅行で行った時に、「昭和の大修理」という事で全貌を見る事が出来ませんでした。
それのみならず、ロンドンのビックベン(ウェストミンスター宮殿)を初めて見た時も工事中だったし、ローマのトレビの泉も工事中、ピサの斜塔は僕が訪れた年から工事が始り登れなくなったし、昨年12月のカーネギーホールも工事をしていた。これだけじゃなく数えればキリが無いほど工事中の名所は訪れている。

意外にそういう運命にあるんだな、おいらは。


こうなったら僕が生きている間は絶対工事中のガウディのサクラダ・ファミリアには行かないと僕の運命は完結出来ないな。着工が1882年だから、今年で129年も作り始めてから経つ事になる。
でも、1900年初頭の写真を見ると、凄い変わりようなので、あと100年ぐらいで完成するのかも知れない。


自分が生きている間に完成が見る事が不可能と言う事に人生をかける事の崇高さには言葉がない。出来るだけ早く結果を求められる現代の世の中において、なんと贅沢な事だろうと思う。


僕のパニック障害もそうだったし、精神的な事からバランスを崩す身体の変調は、このすぐに結果を求められる現代のスピードと、日本においては畳の部屋が減った事による弊害なのかなと勝手に思っている。いわゆる「裕康説」だけど、ほとんどの人が知らないし、これを知人友人に発表しても、畳の減少の事に関しては一笑に付されるケースばかり。


まあいい。
今年は、考える事をはじめとして、全ての事をゆっくりと結果を求めず過ごしてみる事をトライしたい。
自分のチェロの弾き方などの改造も、平成の大修理と称している中、コンサートに来て下さった方には申し訳ない事になる可能性もなくはないけど、僕の修理名所巡りがちょっとした自慢であるように、来て下さった方々が口々に「私、ひろやすの平成の大修理の時のコンサートをこの耳で聴いたのよ。あの時は今と比べると本当に酷かったよ!」と後々自慢して頂ける様にしたい。