有頂天日記 番外編 

昨日の夜、東京に戻りました。今日はリハーサルに行きましたが、時差ボケなのかどうなのかも判定出来ないという有様。

でも、この旅の最初の事を思い出すと、いい滑り出しだと思う。ボストンに到着した日、眠くてアメリカ時間の10時には寝てしまった。翌日は13時からのリハーサルだった事も手伝い、目覚ましをかける事なく寝てしまったのも敗因だけど、起きたら12時40分。ホテルから歩いて5分でリハーサル会場に行けるとはいえ、「やっちゃった」と飛び起き、着替えて楽器を肩にかけた。
ボストンは昼なのにこんなに暗いのかと思う程動揺していた。
単に2時間40分寝ただけの「一人空騒ぎ事変」で終わりましたが、時差は恐ろしい。


ニューヨークでバッタリとチェロの工藤すみれさんに会った。本当に偶然だったけど、彼女は故井上頼豊先生門下で同門。僕が学生の頃はまだ小学生で、その頃から何でも弾けるスーパー少女だった。僕が都響に入った時、彼女のお父さんも都響でチェロを弾いてらっしゃった。彼女と会うのは10年以上ぶり。ニューヨークのジュリアード音楽院に留学して、今はニューヨークフィルのチェロ奏者。ニューヨークフィルのチェロのオーディションでは350人程の中から見事にその席をゲットしたという凄さ。本当に久しぶりに会えて嬉しかった。
あの街に住んで仕事をするなんて、なんてタフで凄いのかと本当に尊敬する。


演奏会の初日に演奏されたカーネギーホールの委嘱作品を作曲した権代さんにも20年ぶりでニューヨークで出会った。僕は彼にまず謝罪をした。

およそ20数年前、コントラバスの池松とデュオをリハーサルをする為に予約していた大学の練習室で権代さんがピアノを弾いていた。二人で相談して外から鍵をかけて30分放置をしてみようという事になり、放置した。
しかし、その放置している事を忘れて「魔法使いの弟子」というスパゲッティ屋さんに夕食を食べに行ってしまった。そして当時流行っていたバックギャモンというゲームに興じてしまった。で、もう10時だから学校戻ろうかとなった時、二人同時にハッとなり、急いで学校へ。
恐る恐る扉にある覗き窓を開けたら、そこに権代さんの目があった。

ニューヨークで20数年前の事を謝罪する。オシャレだな俺って。

本人は「そんな事あったけねぇ」と言っていましたが、本当に悪い事したな。
ニューヨークでは彼と結構長く話す事が出来て、作曲家から見た戦争レクイエムの事、キリスト教についてなどの話が出来ていい時間だった。またゆっくり話したい。彼は一応日本とパリに住所があるけど、世界中を旅をしているという。

海外で仕事をする人のたくましさや精神力には尊敬しかない。それがよく知っている友人だったりすると本当に嬉しいし、誇りに思う。

今回そんな再会も僕には大いなる刺激となった。