有頂天日記 5 In ニューヨーク

イラク戦争の時に反戦音楽だと放送禁止になった「イマジン」というあまりに素晴らしい名曲を残し、自身も凶弾に倒れた反戦楽家ジョン・レノンの住んでいた、そして撃たれて亡くなったダコタハウスに行ってきました。

中学の時だったと記憶してますが、それまでジョン・レノンの名前も知りませんでしたが、その撃たれたと言うニュースでダコタハウスと言う名称を知り、ジョン・レノンを聴くようになりました。
今では勿論尊敬する音楽家の一人です。
ホテルから歩いて30分ほどでしたが、−8℃と言う寒さは軟弱な僕には厳しいものがありましたが、やっとここで手を合わせられた事に感慨無量でした。
敢えてここで戦争や平和については書きません。
そんな偉人が倒れたニューヨークというこの街。 禁煙が徹底してると思いきや、路上ではみんなタバコを適当に投げ捨てている。意外にこういう事には甘いのかと思いましたが、これは僕の勝手な想像ですが、そのタバコを拾う人がいると言う事がその答なのかと。もっと言えばそれらを掃除する仕事がある。一年で何百億と稼ぐ人達から日本円で一箱1300円ぐらいで売られているタバコを吸う人達、それを掃除する人達が巨大な摩天楼に共存出来ている事の不思議さにある意味カースト制度の国を彷彿とさせます。でも違うのは、いつか成功出来ると誰しもが思っている事です。アメリカに来た事がなかった僕ですらそう思っていたわけですから。

実はハウスキーパーの中国の人と失礼ながらも英語の実地訓練と称して、毎日必ず話をします。話をすると言うより、あたかも取材の様な質問責めと言うのが正確な所ですが、その方が言った事で印象的な事があります。

「18歳の時中国から来て30年経つ。ニューヨークは好きだよ。この街では大きい声を出せない人は生きていけない。成功も無理。でも、生き残るのは貧乏人よ」

これはたった一人の方の意見ですが、なるほどと思いましたし、響きました。

ニューヨーク5日目にしていまだに凄い街だと興奮がさめませんが、昨日のカーネギーホールでの一回目のコンサートで確信した事があります。
どんな凄いタワーやビルを建てても、年収が100億でも1000億でも昨夜の小澤さんの指揮のブラームスの1番のシンフォニーの言葉にならない神が舞い降りたような時間と空間は決して作ることが出来ないと言うこと。
そして便利さや進化とは逆を行くクラシック音楽が、実はこの最先端のニューヨークの街の人々に支えられていて、また彼らの支えにもなっているんだと言うことを。