有頂天日記 4 In ニューヨーク

2日間の滞在で何がわかる?
いや、何もわからないしわかる筈もないけど、有頂天の極みで唯我独尊、勝手な僕のニューヨークの印象を書かせて頂きます。


僕がこの街に仮に5年ほど住んだとしたら、ベジタリアンになったと思う。食べ物がオイリーであるから太るとか、選択が少ないとかそんな理由ではない。
この街で仕事をする、もしくは成功するなら何かを犠牲にしないと生き抜けないと言う印象を持ったからなんです。ベジタリアンじゃなくても、禁煙でもダイエットでも禁酒でも、あるいは結婚まで。この街は、何かを犠牲にしないと夢は掴めない頂点に君臨する街である様な気がする。


確かにニューヨークの摩天楼を見上げる僕は極度の興奮状態にある。でも何処か先進国の成れの果てを見てしまったと言う恐ろしさも感じて落胆に似た感情も渦巻いている。


アメリカ国旗とマクドナルド、スターバックスに彩られ、サバイバルゲームで生き残った者が誇らしげに建立した象徴的な建物と路地裏で何かを拾い集める人が同居する街。
ホテル、レストラン等の全面的な禁煙の割に路上での喫煙者の多さとのギャップ。
たぶん、今まで自分達に課した犠牲がどんどんルール化されている気さえする。


歌を歌いながら、あたかもDJがレコードを回す様な仕草でカプチーノを作ってくれる兄ちゃんの仕事への誇りは、実はよく理解出来る。この街で働く人は、いつもその場がステージだから。
あまりにうるさい車のクラクションも、あれはあれで1つのパフォーマンスに思える。


9・11でアメリカ国民が傷ついた誇り、WTCに登って行って亡くなった消防士達の誇り、スターバックスの兄ちゃんの誇り、そしてこの国が好きなjusticeと言う言葉が単にこの街でのサバイバルゲームでの架空のアイテムで無いことを祈りたくなったニューヨーク2日目の夜です。
2日間で聞こえた言葉、英語、フランス語、スペイン語、韓国語、中国語、日本語、ロシア語。
理解した言葉は日本語のみ。


ドボルザークがホームシックになったのも無理はない、と言うのが我等友人の中での本日の共通認識です。