資さんうどん

長い長いベートーベンとの旅も終わりが近づいています。愛媛も北九州も来年に残りのソナタを演奏する事が決まっていますが、一年後、多少でも成長出来るのかが心配であります。
室内楽をする時の「ひろやす」とこういったバッハやベートーベンのソナタの様な個人で演奏する時の「ひろやす」はほとんど変わりません。
ただ、オーケストラの時の「ひろやす」はかなり乖離している気がします。
オーケストラはもちろん指揮者の言う事が絶対ですし、自分のテンポや考えは心の奥底で唸り声を上げてはいますが、これはほとんど出さない。むしろ、この状況で如何に必要な事をするかが勝負となってきますので、この仕事もまた大変ではありますが遣り甲斐も当然あります。このオーケストラでの仕事が個人の活動にいい影響を与える事もたくさんありますが、そうでないことも少なからずあります。
共演させてもらう方の音を聴き過ぎる事が多々あるからです。オーケストラで瞬時にいろんなパートを聴けていないのは罪悪です。その想いがこういったソナタ室内楽で悪い形で出てしまう事があるのです。


個人ではバッハ、ハイドン、ベートーベン、ブラームスという時代の流れは確実に変えて演奏しているように思います。変えようとしている訳でなく、変わってしまっている、と言うのが正しいのかな。
いや、でも意識はどこかにある気もする。
まずは自分の事を知ることからですね。まだまだ全く知らない自分が存在しますから。
無知の知を説いた哲学者がいるけど、それを論じていたのが紀元前というのが恐ろしいし信じられない。


毎日中川さんに連れられて夕食を頂いております。昨日は屋台のおでんとラーメンが一緒になったところに連れて行っていただきましたが、そこに「おはぎ」があるのが驚いた。
そして今日は友人の通称モリナツに勧められ、彼女の青春の味だと熱弁を揮う「資さん(すけさん)うどん」という北九州では有名なお店に入りました。そこにも「おはぎ」がちゃんと売っていたのよ。
それに一昨日も昨日も、そして今日もお店では
「僕はしろを一つ」とか、「しろを二つでよろしいですか」という会話が頻繁に交わされている。
「しろ」というのは何も味がついていない(塩のみ)のおにぎりの事を言う事が判明。
それにしてもうどん屋さんで結構多くの方が「おはぎ」を食べている事がびっくりですな。
この北九州の「おはぎ」文化についてご存知の方、是非教えて頂きたく候。