トンカツ論 第3章 乗り越えるモラル

僕は当初「むつみ」が時間をかけて作り上げるソースでしか食べた事がなかった。通い出して2、3年たったある日、とあるお客さんが醤油をかけて食べているのを見た。そのお客さんが帰った後に店主に
「さっきのお客さん、醤油かけてたよ」と言ったら即答で「俺は醤油しかかけないぞ」と言われ、試したところ天動説が地動説になった。その直後、塩を試し驚愕の事実を知る。
邪道とは思いつつも、エビフライを頼むと出て来る「タルタルソース」を試させてもらった事もある。伝統は革新が無ければ伝統にはならないと思ったからだ。そして守るべき物は守るのが王道、すなわち保守本流なのである。あの超上質な豚に対してタルタルソースは多くを語りすぎるため却下した。あくまでも僕は豚への敬愛を示す物のみを良しとし、塩、醤油、ソースの3:3:1の黄金比率を作り上げた訳である。


キャベツは何もつけないで食べた事もあったし、ソースをかけて食べた事もある。さらには昔、エビフライの時に出してくれる「レモン」を所望してそれを絞ってキャベツにかけた事もあった。しかし、僕はとんでもない事を始めてしまって、それは今では普通に僕の食し方となっている。
それは、キャベツを豚汁の中に入れて食べる事である。僕には豚汁に入っている風味とかすかな歯ごたえの葱が好きだ。その葱の歯ごたえの縁取り効果としてキャベツを入れ始めたのが最初だ。それがいつの間にか育ってしまった。半分は瑞々しいキャベツをそのまま頂くが、残りの半分は豚汁に入れている。豚汁の温度が下がるリスクを考えてもあまりあるリターンを享受している。僕が今まで語ってきた「王道」という物に反するのではないかという指摘も確かにあるだろう。
諸君、我々人間は超えなきゃいけないモラルがあるのである。


最近ではご飯のおかわりを僕はほとんどしなくなった。飢餓状態にあってもだ。必ず一杯のご飯で寸分の狂いもないトンカツとのペース配分を身につけたという事もあるが、二杯食べてしまうとやはり苦しくなり、極楽の時間の後にその苦しさ故の反省が顔を出す。あのトンカツを食べて反省するとは言語道断。それは人の道に反する事になる。
そこの思想まで到達するのに思えば長くかかったものだ。恥ずかしい話、何度苦しい苦しいと言いながら帰路についた事だろう。そういう人の道を外れた人間が更正した時には本当の人格者と変貌する。この無駄の無い食べ方と、保守本流を貫く姿勢は、必ずや僕の音楽人生にもいい影響があると信じている。
キャベツを豚汁の中に入れる事、これは保守本流を貫くが故に滴り落ちる物、それは個性と理解して頂きたい。


そう、モラルを超えたもの、それが個性だ。
だから僕を真似て最初からキャベツを豚汁に入れてはいけない。
22年間あの頑固な店主との真剣勝負から生まれた物であるし、あのAs durの豚汁の中にG durのキャベツを入れる一世一代のハーモニーはそう簡単には理解出来ないからだ。