再び獄中の事

何度もこのブログに佐藤優氏の「獄中記」の事を書きましたが、「蟹工船」を書いた小林多喜二氏の事を偶然テレビで見て、「獄中」と言う事について僕の中で再びクローズアップされて盛り上がってしまっています。


演奏会の本番にはランクは一切存在しませんが、緊張するだろうけど何か楽しみな本番から、あまりの恐怖からもう逃げ出したいと思う本番まであります。
その逃げ出したい本番の前の一週間ほどを僕の生活を「獄中」と試しに位置づけてみました。あまりに苦しいですからね。
ところがすぐに矛盾が生じましたよ。
逃げ出したい本番は、(早く終わって欲しい)と思うより、(時間がない、あと一週間時間が欲しい)と思っている事に気付きました。
本当の獄中では多分僕は逆でしょう。(早く出たい)に決まっています。
なので位置づけた事自体間違いでしたし、意味の無い事でした。


それにしても、逃げ出したい本番が月の始めにある時は、その前の月が30日で終わるのか、31日で終わるのかではもの凄い違いがあるんです。
この1日の差は本当に大きいのです。
その本番が3月1日だったら、2月が28日で終わるという当たり前に受け入れて来た事すら激しく恨む事になります。閏年だとしても僕は許しませんよ。
でも今までの経験から行くと、どんなにもがいて泣き叫んでも確実にその日は終わっていくんだなこれが。そしてしばらくすると再び(時間がない)と泣き叫ぶ。

そんな時間に追われる人生を獄中と考えるのか、それとも自分の人生が終わる時が獄中に入ると考えるのかで生き方がガラリと変わります。

っていうかそんな事を考える暇があるのなら、月の始めでもない月末28日のコンチェルトの練習をすべきだと僕は思いました。
あと2日しかないじゃないか。
落ち着こう。きっとキム・ヨナよりもまおちゃんよりも、圧倒的に失う物はないはずだから。