第九からブーレーズへ

昨日の第九、無事に終わりました。神奈川フィルとしていい意味で今までとは全く違うサウンドが散りばめられた感があったと自覚していますしいい感じだったんじゃないかなぁ。自分で自分のオーケストラを語る事は恥ずかしいですが、凄くいい瞬間はいっぱいあったと思っています。
惜しむらくはやはりみなとみらいホールであの演奏をしたかったという事に尽きます。神奈川県民ホールが悪いのではなく、昨日の聖響さんの望む演奏を具現化するには、もう少し響きが多い所じゃないと効果が半減してしまい途中のフォルテが2つある所などの広がりに関しては難しかった。音が大きい小さいではなく、よりハーモニーによっての音色の変化はつけられたかなと思います。演奏する時は、まず弾いて、その弾いた音が響いて自分の耳に帰ってきた音を確認しながら次の小節を弾いていると言うのが本当の所ですので、一瞬前に弾いた音の帰りが無いと次の音、次のハーモニーでどれほど変化させるか、弓の速度をどう変えるか、さらにはそれを低弦からどう発信していくかなどの作業が非常に困難になります。まあでもどんな環境でも出来なきゃダメだとは理解しているのですが。
スタイルについてはこれは賛否両論あると言う事はわかっています。ピリオドと一言で言っても、実はそれは楽譜の読み方、考え方、哲学ですから、いろんな考え方をされる方はいるでしょう。でも今は聖響さんが常任ですから、その指示に従うのは当然の事で、出来ないとプロとは言えませんからね。でも、長年ついてしまった癖からの脱却は本当に難しい事です。「第九の生活習慣病」とでも言いましょうか、フッとした瞬間に昔の手癖でやってしまう、僕もまだまだです。
スタイルで思い出すのが、僕がまだ都響にいた頃、ベルティーニさんが例の4楽章のチェロとバスのレチタティーボをイン・テンポでやると宣言して、しかもお客さんに受け入れられないだろうからと、その自分の哲学、考え方をプリントしてプログラムと一緒にお客さんに配った事がありました。その頃はそういったピリオド的な考え方は日本では全く一般的ではありませんでしたからね。事実楽譜にはイン・テンポでとベートーベン自身が書いていますから。それを守らない理由は全く見つけられません。酒もタバコもやるけど、その時に応じて、という態度でどんなスタイルにも順応出来る力が僕にはまだ少し足りないようです。


そして今日は朝10時から来年のJT・チェロアンサンブルのリハーサルがあり、ブーレーズの「ソロチェロと6本のチェロの為のMessagesquisse」をリハーサルしました。ここ何日か夜中にフィンガリングを考えたり、ちまちまと夜な夜な練習していましたが、ハッキリ言って、1小節たりとも何もまともに弾けなかったぞ。シンプルには書かれていますが、リズムが複雑過ぎて、しかも音が異常なトリッキーさでとても覚えられないし、指はそこに行かない。今日はみんなで譜読み大会しましょという事でしたが、初見でははっきり言って1小節だって弾けませんから指使いは考えたのですが、歯が立ちませんでした。戦場で仲間に置いていかれる心境を味わいました。さすが向山さんを始めとするみなさん、良くお弾きになられるものです。


明日は1月4日のヴィルトーゾ・シンフォニーオーケストラのリハーサルが一日中ありまして、明後日は1月10日の三枝成彰さんのコンサートでこれまたチェロ12本のコンサートのリハーサル。それで今年は仕事は全て終了です。しかし、その三枝さんのチェロアンサンブルの楽譜がどっさり届きまして、ほとんどが僕のパートはバイオリンの様な音域。今日と明日の夜、夜中が勝負になります。