今年もあと10日になりました

今日は神奈川県民ホールで演奏会後、金原ストリングスというスタジオのストリングスグループの忘年会に参加。渋谷の定休日のバーを貸し切っての毎年恒例の忘年会。
毎年これが朝までなんですが、今年は電車がある時間に帰りました。30人ぐらいは来てたでしょうか。それはそれはワインも焼酎も数十本が1日でなくなるほどの大忘年会です。
これまた親友でチェロの大沢真人という男がいるのですが、彼と長々と話しましたよ。同じチェロでもあり、また僕のゴルフのラウンドの7割は彼と2人でのプレイしていることもあり、タイガー・ウッズの話からお互いの病気の話、そして僕は去年母親を亡くし、彼は今年お父様を亡くしましたのでどうしても「死」の話。

よく「そんなに稼いでもあの世にはお金は持って行けないよ」なんていう話がありますが、お金は持って行けないにしても知識や能力、その人の持つ独特の味わいや笑い声は持って行ってしまうんですよね。お金なんて逆に持って行ってもらってもいい、だけどその他の物はどうか置いていって欲しいと心から懇願します。
僕らの共通の友人が36歳の若さでこの世を去りました。あの時は二人で泣いたな。彼が亡くなる3日前に仕事で会って、結構元気になったと言っていたのに。突然だっただけに呆然としました。
こういう辛い経験が歳を重ねるごとに増えて行き、本当にその辛さも限界にくるのではないかとぼんやり予想しているのですが、生きる事も死ぬ事も辛い。
生まれた瞬間から人間は「死」へのカウントダウンが始る。
そのカウントダウンに耐えるのが修行なのかな。
この寒い中、二つ前の駅で降りてずっとそんな事を考えながら歩き続けました。

忘年会に行く事、友達と話す事、駅から歩く事、それよりもなによりも僕が今ここにいる事、いわゆる「在る」という自体、どういう事なのか。
偉そうに言わせて頂きますと、僕の中の哲学といいますか、永遠に到達出来ないテーマは生きている理由と死んでしまう理由なんです。
そこから宗教にやはり派生して行って、結局知識の無さと問題解決への決意の希薄さでいつも入り口から引き返すんです。
僕は家は仏教ですが、仏教徒ではなく、いわゆる無宗教無宗教というのは自由な精神である様にも一見思えますが、そのまた自由と言うのがくせ者で、自由を謳歌する場合必ず自己の責任を負う事になります。自己責任を負えなくなって宗教に身を委ねる事になったのかどうか、、、、、
結局堂々巡りですから止めます。

あと10日、29日までは毎日仕事をがんばり、残りの2日は先月どっさり買った本の残った物を読み切ろうかと。