理想の喫茶店

名古屋の実家から歩いて2、3分の所に「支留比亜」という名の喫茶店があります。そこは今や名古屋周辺に27店舗をもつ店の本店です。ここで珈琲を飲むと、僕の珈琲の好みの原点がここにあるとつくづく思います。今は自分で煎れる珈琲が1番美味しいのではと調子に乗っていますが、でも基本の味はこの「支留比亜」なんですよ。
そして、食べ物が異常に美味しい。軽食のみだけど、種類豊富なサンドイッチやホットドッグ、そしていろんなバリエーションを誇るトースト。1度食べて頂きたいのですよ。お願いですから。名古屋の実家に泊まると必ず1度は行きます。古い店舗は木を基調とした店内、その木に珈琲の香りが染み付いて独特の癒される空間を醸し出しています。今日の朝、新聞も読まずサンドイッチを食べ、珈琲を飲みながら何故か事業仕分けの事を考えていました。
昨日も書きましたが、音楽関係の事業も削減されました。でもどうしても音楽は違うだろうとは心から言えないんです。スポーツも削減され、スーパーコンピューターも「1位じゃなくてなんで2位じゃダメなんですか?」と言われていましたよね。そりゃ関係者にしてみれば死活問題。非難轟々ですが、僕はなんか冷めてあの事業仕分けを見ています。
これから音楽家も相当厳しい時代がやってくる気がしています。覚悟しなくていはいけません。
よくタクシーに乗りますと「趣味の延長でお金が入るなんて最高な職業ですね」と言われます。タクシーの運転手さんじゃ無くてもそういう事を良く言われます。
そこなんです。ヨーロッパの様に音楽家がまだまだ尊敬されていないのが現実の様な気がしています。僕なんかは尊敬されるレベルではない事ぐらいはわかっているのですが、もっと著名な方ですら趣味の延長と思われている感じがしています。
だから正面切って「音楽、芸術は世に必要です」と言えない気がするんです。いや、必要だと思ってますし、必要であって欲しい。
政治は富の分配だという話があります。トルコで聞いたトルコの方のイスラムの考えなんかを聞いていると、まさに富の分配だと思いますし、税金はやっぱりフェアでなきゃいけません。フェアじゃなかったから政権も交代した訳で、こうやって事業仕分けとして白日の元にさらされる事になって今までのアンフェアな使われ方を僕も知る事になった。
やっぱりまだまだ芸術に税金が使われる事になる様な国ではないのでしょうかね。音楽・芸術を愛してやまないとおっしゃる方々も沢山いらっしゃると思いますが、まだまだなんでしょうか。

そんなやりきれない気分でぼーっと「支留比亜」にいました。すっかり冷めたしまった珈琲ですが、美味しい珈琲は冷めても美味しいんです。

1時間弱、ぼーっと何かを考えてられる場所が、僕にとっての理想の喫茶店なんです。
名古屋の喫茶店では当たり前ですが、朝11時ぐらいまでは珈琲一杯の値段でトーストが必ずついてきます。
それがモーニングサービスなんです。