ヨーロッパ・サバイバル日記 ギリシャ編

そんな訳で夜10時にギリシャアテネに到着。

空港の整然とした雰囲気にユーロ圏内に入った事を実感。しかしそのギリシャに入国したという事より、トルコから逃れた事の嬉しさと満足感に浸る夜でした。

飛行機では1時間ほどだと思いますが、離陸も着陸も記憶がなく、隣にいたビオラの鈴木康浩くんが立ち上がって何か話している声で起きました。一瞬何処にいるのか、なんで鈴木くんがいるのか、全くわかりませんでした。

街のほぼ中心の五つ星と言われるホテルに着くとそれはそれは斬新というか、モダンというか眠気も吹っ飛ぶ笑いすら出るホテルでした。

鈴木くんの部屋には大きいトラのぬいぐるみが置いてあるし、僕の部屋は南国風で部屋のライトがヤシの実になっていて、全てのライトをオンにしても真っ暗。全ての部屋にはデザイナーがつけたと思われる名前がついていました。

五つ星だろうが一つ星だろうが、空港で寝る事も覚悟していた僕ですから、幸せな気持ちになりました。


夜10時に着いたとはいえ、早速仲間達と食事に出掛けました。コントラバスの中国人のシャオゥインが兎に角シーフードを食べると1キロ程歩き、ようやくきらびやかなレストラン街に行き着きました。

兎に角混んでいる店に入ろうと言う事で、1番混んでいた店のおじさんに「どんな物でもある?」と聞くと「もちろん、1番の店だからこの辺りでは」と言うのでその店に入りました。

飲み物を頼み、メニューを見たら「ケバブ」しかないではないか。しかもよく見ると店の名前が「ケバブー」。

シャオゥインからは「ヒロ、トルコに帰れ」と言われるし参りましたが、豚のケバブとかトルコには無かった物もあり、しかも洗練された味に救われました。


午前1時頃にホテルに帰り寝ました。
次の朝は10時からリハーサル。ホールは素晴らしく、ギリシャの歌手とギリシャの作曲家の曲を初めて合わせました。

昼過ぎまでリハーサルをして、それから1度ホテルに戻るやいなやパルテノン神殿へ。ご飯を食べてから行こうかとしていたのですが、3時半にはクローズになると聞き、兎に角登りました。
言葉が出ませんでした。あまりの美しさと凄さに。

日本を出る前に卑弥呼邪馬台国論争にピリオドか?という記事を読みましたが、その卑弥呼の活躍した時代の600年も前にこんな建物が造られたという驚きと空とその大理石のシンプルな美しさにただただ佇みました。昨日のイスタンブールの事など忘れ浸っていました。

そして戻る途中にある屋上がオープンになっているレストランを発見。

またシャオゥインに「裕康が入る所はケバブしかない」と言われましたので、今度はメニューまでチェックして入りましたが、そこがなんとも美味。各自いろんな物を注文し、少しずつ味見させてもらったのですが、本当に美味しかった。

人間単純です。美しい物を見て美味しい食事を食べるとモチベーションがレッドゾーンまで上がります。夜8時半からのコンサートの成功はこの時点で約束されていたと思います。

東京のリハーサルの時に仲間が音を間違えて「Oh my god!」と叫んだ時に「Did you call me?」と僕が言った事が発端となり、そのギリシャではもう僕の事を仲間は「神」と呼ぶ様になっていました。

スーパーツアコンの平林さんも部屋の鍵を配るときも「はい、神、305です」という様に。

僕も段々その気になってパルテノン神殿では「俺の実家凄いだろ?ああ見えて3LDKなんだよ」と日本ではすべるどころかスルーされる様な冗談ですら笑いが取れるほどメンバーのテンションが上がっていましたね。前の日と比べたら天国と地獄ですからね。


その夜のコンサートはさらにお客さんの反応の良さと喜んで頂いているという調味料を得て、いいコンサートになりました。

聴いて下さる方々が幸せを感じられる演奏をするにはまず演奏家が幸せな気持ちになっていないと無理である事を改めて強く思いましたし、メンバーのモチベーションが高い時は多少の縦のラインがずれようと、各自の音楽に対しての想いが優先された時に立ち登る芳醇な何かは、テクニック、楽器、人間を超えるものであると思いましたし確信しました。

そんな曲を書いた歴史上の作曲家に深々と頭を下げたい。

そんな素晴らしいコンサートが終わり、再び派手なコンテンポラリーなおもちゃ箱のようなホテルに帰り、すでに11時でしたからラウンジも閉まっていたが、そのラウンジを勝手に使っていいという事でしたので、飲み物を持ち寄り軽く反省会。

1時過ぎに「ではまた後で」と寝ました。なにせ起床は3時半で4時半にバスが出ましたから。


もうそろそろ僕が以前書いた0泊6日の意味がわかって頂けたのではないかと思います。4時半にバスは出て、アテネの空港から出発しました。

なぜこんなスケジュールなのか?出発何日前にギリシャオリンピック航空が破綻して、飛ぶ保証はないよと言う事でしたので、こういう時間になった訳です。そのオリンピック航空破綻から、何かこの旅のサバイバルは始っていたんですね。それは帰ってから気付きました。
遅過ぎます、気付くのが。