ヨーロッパ・サバイバル日記 トルコ編

無事日本に帰還しました。何から書いてよいやら。


トルコのイスタンブールはヨーロッパと中東の真ん中に位置し両方の文化が溢れんばかりの宝石箱というイメージを持って上陸しました。
でも着いた時間は既に夜遅く、視覚的には何もわかりませんでしたが、匂いで判断するともの凄く空気が淀んでいました。
本当はどうかわかりませんが、排気ガスの規制とかはないのかなと。ライトに照らされている空気が既にスモッグがかかっていましたからね。
不思議なのはそんな悪い空気なのに、喫煙の場所が限定されているところが将来ユーロ圏に入りたいという意気込みなのかなぁと。


次の日は頑張って起きて朝から聖ソフィア大聖堂(アヤソフィア)を見に行きました。
世界遺産と言われるモスクを見た後、お約束ですがケバブを食べました。そして仲間のうちの一人が見事にトルコ絨毯を買い、というか買わされ、その巧みな営業方法を僕はずっと冷静に観察していました。
演奏会は会場中が絨毯が敷いてあったために全く響きがなく、苦労はしましたが、お客さんには喜んでいただけたんではないかと思います。

演奏会の前には軽食を出して頂きましたが、ケバブでした。軽くホテルのバーで皆さんと一杯と相成り、僕はスプライトを注文したのですが、炭酸が全く抜けていて飲んだのはその炭酸が無いという事を確認した一口だけ。そしてすぐに部屋に戻って寝ました。次の日が朝5時半に出発でしたから。


睡眠3時間でちゃんと5時半にホテルを出発して空港へ。濃霧で何も見えません。
チェロの三宅さんとこんな天候でのゴルフだけはしたくないねと軽口を叩く余裕がその時点ではありました。これから訪れる惨劇なんて誰が予想したでしょうか。でもなんか不吉な雰囲気は漂っていましたよ。

乗る筈の飛行機はずっと「遅れます」の表示しか出ていなくて、4時間程待った所で僕は長丁場を覚悟してラザニアに似たトルコの代表的な食べ物と珈琲を買って意気揚々とみんなの座っている所に歩いて行くと「裕康!裕康!」と呼ぶ声が聞こえましたので、(おっ、飛ぶかな?まあこんなの食べなくてもアテネで美味しいものを、、ふふふふふ)とにこやかにその場に行くと「キャンセルになったよ」との事。

ガックリしている所にヒーロー登場。というか成田からずっと我々をアテンドして頂いていたのですが、HISの平林さんというスーパー・ツアー・コンダクターが次の便を人数分確保、普通の人ではとても出来ないこまやかで大胆な仕事ぶりに我々はなんとかなるんだと安心しました。
しかし次の便は17時。兎に角待つしかありませんのでフード・コートで低音の4人でバーガーキングをパクつき、トルコではケバブしか食べていない僕はバーガーキング佐世保バーガーより高級に思えました。
そのフード・コートでだらだらと待っていると、ビジネスクラスのラウンジで僕たちが乗る飛行機が飛ぶという噂を服部譲二が聞いてそれを平林さんに電話して、スーパーツアコンの平林さんの危機管理アンテナに触れたらしく緊急召集。急いでセキュリティ・チェックの場所まで行きました。
早朝はガラガラだったそこには何処がセキュリティチェックなのかわからない程の人。
まあでも僕たちは日本人、ちゃんと並んでいると1mも進まない。そりゃそうだ、真横からどんどん人が横入りしてその横入りのラインが出来ていて、そこが主流のラインになっているではないですか。
もみくちゃにされながら阻止したり喧嘩したり要約その荷物をベルトコンベアーに乗せる所までたどり着いてチェロをベルトコンベアーに乗せると、後ろのドイツ人が僕の服をひっぱり罵詈雑言。「お前の荷物が大きいからどけろ」と楽器を自分のビジネスバッグで叩いて落とそうとするではありませんか。
彼と怒鳴り合いをしていたら彼は自分のバッグを僕の楽器の前に投げてラグビーの選手の様にタックルを繰り返し、自分だけボディチェックを通り抜けて行きました。
キレた僕はそのビジネスバッグをベルトコンベアーから持ち上げ、後ろに投げました。もちろんベルトコンベアーの上に乗せるほど僕は優しくありません。
僕がセキュリティチェックを通過した時、そのドイツ人が荷物が来ないと係員に食ってかかっていました。永遠にバッグは来ないよとつぶやきながら通過。
その少しあとにいた三宅さんについては彼のブログ「チェリストの孤独」を読んで頂けると有り難いです。後ろがどうなっているのかさえ無事に通過した僕も見えるような状態ではありませんでしたから。戦争でした。


そして全員通過してバスに乗り、飛行機に。ガラガラでした。満席の筈の飛行機がです。
濃霧から始ったとはいえ、トルコの空港のオルガナイズには失望しました。
冗談ではなく次の日、全身筋肉痛でした。何人とつかみ合いになったか覚えていません。左手の親指をつかみ合いになった時に突き指をしまして、それが今も痛いです。
この飛行機に乗れなかったら、アテネでのコンサートは出来なかったと思います。
スーパーツアコンの平林さんのプロの仕事に敬服して我々はアテネに向かいました。
「僕の仕事はこういう事がないと無用だと思われてしまいますから」と言う平林さんの言葉が忘れられません。


全員傷を負いながらも無事出国。次はギリシャです。