練習すると言う事

毎日、時間があるといろんな事を考えるものです。気分が上がる事も下がる事も、どっちにもならない凡庸な事までよくもまあこんなに脳は回転するものです。
このぼんやりずっと考える事が、実際何も将来もたらしてくれる事はないと思いますが、この冷徹までの深読みはいろんな事を整理修復してくれる事は確かです。
1日、何も無いからと言って一日中練習している訳ではありません。仕事がある日に帰ってから夜4時間練習する事と、1日何も無い日に1時間練習する事、どちらがはかどるかと言いますと、何も無い日に1時間練習する方が圧倒的にはかどります。これは多分集中力の違いなのかな?
何も無い日に1時間だけ練習するなんて、高価なお寿司が20カンある中から「こはだ」だけをつまむ様なものです。しかしその贅沢な行為は、その「こはだ」の鮮度から酢のシメ具合、シャリとのバランスに至る細部まで自分の能力を超えた感度を発揮させます。
今まで練習はどちらかと言うと質より量でした。もちろん量は今でもこれからも必要ですが、練習の質を向上させるにはやはり時間が必要です。
忙しい時は、確実に楽器を弾く時間が長くなる為に、その疲労から充実感を味わいます。でもそれが致命的な勘違いです。やはりゆったりとした時間の中、自分の音を良く聴くという事がこれからの僕を救う事になると思います。
演奏会で弾く事は仕事ではありません。練習する事が仕事です。
いつもいつも時間がある中で練習できるわけではありませんが、これからは自分でコントロールしていかないと僕の50歳からの演奏家生命はどんなに頑張っても下降線をたどる事になりそうです。
「最近本当に忙しい!」という事が、練習が忙しいという意味になる日を夢見ながら、明日は地方でカルテットを弾きます。