新幹線にて

なんだかインフルエンザの報道も少なくなってきて、終息していく方向なのかと勝手に思ってしまっています。それが報道の恐ろしさですかねぇ?あれだけ危機感を与えられてから、それ以後のフォローが少ない気がします。でも危機感はどんな事にでも持っていて損はないと思うので、喚起して頂く事はあり難い事であるとは思います。今日、名古屋を往復しましたが、新幹線ではやはり多くの方がマスクを着用されていました。僕もその中の一人で気休めかもしれませんが、行きも帰りもマスクを着用しました。
昔から僕は「昼寝」という習慣もなく、新幹線で寝るという事は100%ありませんでした。だから広島だったり、岡山だったり、距離が長い時は読めない量の新聞、雑誌を買い込んで新幹線に乗るのが習慣でしたし、楽しみでもありました。そこで得た浅い知識で博識になったつもりでいましたし。
だけどいつからでしょうか、必ず眠る様になってしまったのは。最近は(今寝ておかないと)なんて思ったりしています。新聞も雑誌も買いません。
昔はいろんな種類の駅弁をひたすら試して上から目線で評論をしながら食べて悦に入っていましたが、最近はもっぱら品川と新横浜にあるおにぎり屋さんでおにぎりを買うのが改札を通る前の儀式です。
やっぱり僕は日本に生まれた事を実感して幸せに思う時がこのおにぎりを食べる時です。少年だった頃、遠足などでお弁当と言えば「ウィンナーソーセージ」と「卵焼き」、そして「おにぎり」でした。あれが美味しかった。この3種の神器、独占禁止法なんてもんじゃないぐらい僕の中では絶対的な物です。
朝、そんな事を思いながら新幹線では珍しく眠る事無くそんな想いにふけっていました。帰りの新幹線に乗る前に父親と食事をしてから乗りましたが、大昔に両親と動物園に行き、その3種の神器を頬張った事をから昔あった新幹線の食堂車で両親と食べたものまで想いを馳せてながら再び眠る事も無く涙ぐみました。よく演奏会の後に東京に戻る時、母親が「疲れてるんだからグリーン車に乗って行きなさい」と5000円をくれた事を思い出した瞬間から涙ぐんでという状態から涙が決壊して土石流の様に溢れて、マスクの中では花粉症でも風邪でもないのに鼻をすすり、涙はそのマスクにしみ込みました。

父親の寂しそうな姿がどうしようもなく辛かった名古屋駅でした。