誕生日だというのに涙

桜の季節になると動物園に逆に人間が詰め込まれてしまった様な錯覚さえ覚える上野で、今日は室内楽のリハーサルでした。桜はまだまだ全くでしたが、人は多かったな。都響の練習場でのリハーサルでしたが、多くの元同僚と再会しました。と言っても、多くの人とは仕事その他でしょっちゅう会うのでこれと言った感慨もありませんが、15年前在籍していた時、練習場に入る時にいつも嗅いでいた上野精養軒の調理の匂いを嗅いで、何かぐっとこみ上げる物がありました。別に吐きそうになった訳ではなく、こみ上げたのは懐かしさです。匂いの記憶は凄いです。すぐに当時にトリップできます。
あの頃は週に1度はスウォッチを買っていたな。
リーボックバスケットシューズにピンクの紐を結んで行ったら自分の父親ぐらいの方にど叱られたな。
まあいろんな事を思い出した訳であります。
今日のリハーサルはカルテットでハイドンドボルザーク等、結構たくさんの曲を練習しました。4月2日からの鹿児島の「天空」という所で演奏する為のリハーサルでした。
去年の3月21日は、恥ずかしながら自分のバッハのCDを聴いて過ごしましたが、今年はバッハのバの字もなく1日が過ぎました。
高校生の時、旧東ドイツのベルリンのホテルのラジオで聴いたバッハの2つのバイオリンの為の協奏曲は僕が音楽の道に進もうと決心させた曲と言う事もあり、それからというもの、バッハの誕生日の3月21日はかなり神聖な日でありましたし、生まれた年の1685年の1685は最初に作った銀行口座の暗唱番号でもありました。
申し訳程度に今、バッハのチェンバロ協奏曲を聴いています。
匂いの記憶もさることながら、曲のまつわる想い出は、強烈に脳裏に蘇ります。
浪人時代、五里霧中であった僕がこの曲を聴きながら、こんな曲を将来オーケストラで弾けたらと思っていた曲です。
浪人時代、ずっと母親と一緒だったなと思い出し、今日は本当に気持ちのいい春だったのに、感傷的でちょっと辛い気持ちで1日を終える事になってしまいました。お彼岸であったと言う事も多分に関係あるのかもしれませんが。

僕の生きる支えであるバッハさん、誕生日おめでとうございます。新たにそちらに母親が行きましたが、よろしくお願いいたします。