バルトーク「オケコン」、小泉さんの信念をみました

無事に定期演奏会が終わりました。久々の小泉和裕さんの指揮、こんな事を僕が言うのも僭越ですが、芯を食っていました。というのも、楽譜に忠実な音楽を作ってらしゃるというか、本当の書かれた楽譜から浮かび上がる「何か」を僕は堪能させて頂きました。15年ほど前、都響にいた頃「シェヘラザード」を小泉さんで演奏して、少しあとに一緒にゴルフに行った時、小泉さんは僕に、
「ひろやすくん、あのソロ、何をナーヴァスになっていたかわからんけど(彼は関西なまりです)楽譜を良く読まなきゃいかん。読み切れてないから恐怖があるんだよ。ゴルフと違って楽譜は風の影響もないし、雨の心配もない、しっかりしてくれよ」とおっしゃいました。
例えとして決して上手とは思えませんが、楽譜を読むと言う事、つまり正確な作曲者の意図をお客様に伝えるのが僕の仕事だという事を学びました。
そんな小泉さんには公私にわたって本当にお世話になっております。いつも有り難うございます。
さて、その小泉さんのバルトークですが、奇をてらうことがない、だけどここぞの熱さは小泉さんが出すのではなく、小泉さんにどこからか降りて来る、そんな感じの凄みのある指揮ぶりでした。バイオリン協奏曲のそソリストの松山冴花さんは若いのに堂々たるもので、テクニック的な心配は皆無で正確無比の弾きっぷりは素晴らしかったです。将来もっともっと素晴らしいソリストになるだろうと思いますし、期待しています。

「オケコンの最後の2ページの難しい音の部分を一つも外さず完璧に弾けた事があります。その部分が完璧にはまった瞬間に、実はバルトークの異常な天才性を再認識しました。選び抜かれた音、何故スルポンチチェロ(弓で弾く場所を駒に近くでわざと弾いて雑音を出しながら弾く奏法)でなきゃいけないかの必然性、それが全体として膨らんで行く興奮と緊迫感」

これは僕の先日の最後の2ページが弾けた事がないというブログを読んでの某矢部くんからのメールです。

僕は今日、完璧ではありませんでしたが、今まででは1番自分としては手応えはありました。だけど、矢部くんの様に選び抜かれた音であるという事にはまだまだ感じる事もなく、練習が足りない事と、耳の良さの違いにちょっと自分にがっかりしています。

バルトークは僕にはたまに「日本昔話」を遠くで思い出す瞬間もあり、なにか懐かしささえ感じる事さえありますが、時には自然の中の闇の音、それは虫とか鳥でもなく、闇の空気の音を感じることもあります。そんな時に鳥肌が立ちなんとも言えない瞬間を迎えます。

今夜の定期演奏会は久しぶりに気分も高く、そして内面的な興奮度も高く、自分にとってはある意味幸せな時間でした。

ご来場くださったお客様、寒い中、有り難うございました。