いよいよ

幾ら練習をしても完全にならないし、だんだん自分は何を求めて練習しているのかがわからなくなってきます。
だからと言って楽器をさわらないと不安の塊に押しつぶされそうになります。
しかも何日か後の「ドボコン」だけではなく、11月1日のハイドンのチェロ協奏曲もずっと頭の中にあります。
だからと言ってハイドンを正面切って練習する気もおこらず、やっぱりまずはドボルザークとなり、ドボルザークを練習していても、まずは1楽章と練習していると、2楽章、3楽章が気になってくる。
そして2楽章を練習していると、先ほどの1楽章が心配になってくる。


まあいつものことですが、直前になるとかなり混乱してきます。
テレビを見ていても上の空、パソコンも開く気にならない。といって練習をしすぎると段々左手や指がおかしくなってしまい、休まざるを得なくなります。
眠れないので朝方までもんもんと本を読んだりしていると当たり前の様に次の日は起きられない。
悪循環もここまで来るとちょっと笑えます。
ハイドンを終えたとしても次の週のシェーンベルグの夕べの曲なんて譜面台に乗っかっているだけ。大丈夫か俺。

と苦しんでいます。
そして、なぜかどんどん弾けなくなってくるんです。直前になると。左手の疲れか、精神的な物なのか全くわかりませんが、とにかく調子が落ちてくる。だったら半年前からちゃんと練習しろって感じですが、いつもそれは活かされない。


三浦和義元社長があのロスで・・・・
僕が何もする事のない浪人時代、週刊文春で「疑惑の銃弾」と題して毎週のように彼の事が書かれていました。
そして毎週僕は読んでいました。
なんだか懐かしいというか、その結果がこれかとか、複雑な気持ちです。
彼に関する本も何冊か読みましたが、彼が犯罪を犯したのか犯してないのかは彼にしかわかりません。
それを日本の司法は無罪にして、アメリカでは罪名こそ違えどまだ追っかけていた。ここでいろんな事がまたわかるのかとも期待しました。でも全てはこれで終わってしまいました。


車の免許を取得した事、そしてこの「疑惑の銃弾」を読んだ事、チェロをめちゃくちゃ練習した事、浪人時代の想い出はこの3つだけですから。

複雑、複雑。
本当に複雑です。


さて練習しますか。浪人時代の様に。