僕の愛すべき曲達 1

世の中にこれが一番好きな曲だとは絶対に決められません。どんな曲でも本当に素晴らしい。
しかし、吉田秀和さんの様には表現できないですが、稚拙な文章ながら書いてみたかったのが、「僕の愛すべき曲達」です。その第1回目としてこの曲を取り上げようと思います。


フォーレ ピアノ五重奏曲第2番 c-moll op.115


これは今年の3月に初めて演奏をする機会を得て、さらに昨日再びその機会を得た曲です。
この曲の素晴らしさを文章にする事はまず出来ないとは思いますが、書いてみたいと思います。


1楽章ですが、表記通りハ短調なのですが、最初は調性が全くわかりません。ビオラが奏でる主題が完結する小節は変ホ長調、その信じられないぐらい美しい主題が完結するかと思えば変ホ長調でその主題をチェロが受け継ぐ、そしてセカンドバイオリン、ファーストバイオリンと受け継がれますが、その落ち着いた先が変イ長調
まるで調性の渦に巻き込まれる様な事から始るのがこのピアノクインテットの始まりです。
それが全く緊張感が途切れる事なく、調性の渦、調性の波に飲み込まれながらの緊張感はどんなに演奏者を高揚させ、また打ちのめす程の困難さをもたらすか、まったく想像がつかないのです。

それにこの曲の出だしの主題、もしくは第2主題(第3主題とも取れる所もありますが)は鼻歌で歌う事ができますが、実際、途中は歌えません。どれが優先順位が高いのかさえ理解出来ない箇所が無数にあります。

さらに、小節ごとというより、拍ごとに転調を繰り返す為に「美しい」と思う瞬間と今自分が聞いている耳とが一致しないことすらあり、さらには5人全ての声部を把握する事はまず不可能と思われます。
そんな曲のどこが素晴らしいのか。
こう例えさせてください。中華料理で何とも言えない美味しいスープを飲んだとしましょう。永遠に飲み続けたい味、そんなスープの味ってありますよね。
多分、そういうスープを飲むと僕も皆さんも(何が入っているんだろう)とまず思うはずです。知識として「干しアワビ」「干しエビ」「干し貝柱」「鳥ダシ」等々、思い浮かぶ物はたくさんあります。
だけど、それがどれぐらい、どんな案配で入っているのか、どれぐらい煮込めばいいのか、全くわからない。
しかもそのレシピと作り方を全て事細かに教えてもらったとしても、多分作れないし、教えてもらっただけでは、想像もつかないと思います。

フォーレのこのクインテットはそんな曲なんです。理由がわからない、特に主題が聞こえてこない部分の素晴らしさがたまらないのです。音楽家が表現するというより、哲学者がつぶやき、そして語り、歌う。そんな曲におもいます。


3楽章はフォーレ室内楽曲の中で最も感動的とさえ言われているらしいのですが、感動的というより、僕には少ない難しい言葉を哲学者がわざわざ平仮名で表記して、歌にするというより詩の朗読に近い一種祈りを完結させたテキストのような物に思えます。
どこかを漢字でかいてくれたらなにか手がかりが掴めるのに、すべて平仮名な為に、聴き手、弾き手によってはどうにでも解釈できてしまいそうな危険性を常に孕んでいます。
だから何度リハーサルをしても新しい考えが出て来てしまって、また消える。その繰り返しなのです。


だけどいつの間にかそのワーグナーのトリスタン和声を彷彿とさせる平仮名の世界に引き込まれ、よっぽど演奏会の時には冷静にならないと、次の第4楽章に頭が切り替わらない。
結局、弾き終わった後、満足感があるのか無いのかすら自分で判断出来ない曲です。
何がいったい入っているのかさっぱりわからない極上の澄んだスープなんです。
そして何日してもその断片や、ハーモニーの移ろいが頭から離れず、またこの曲弾きたいとずっと心の奥底で思い続けているような曲なんです。
僕なんかより何倍も耳がいい矢部くんや、弟の山本友重なんかは楽譜に書いてない音が倍音で聞こえてきて、それがなんともハーモニーの肉付けになっているなんて言いますが、それは僕の耳のレベルでもわからなくはないです。

そして、晩年耳の聞こえなくなっていたフォーレが書いたと言う事が僕にはどうしても信じられません。


再び、この曲はやりたいと思っています。
また機会を下さい。