ソリスト

シューマンの協奏曲が終わり、その後、本当に沢山の方々から感想、激励、そしてご指導を頂きました。
この事については本当に感謝しております。


そもそも音楽家は1度社会に出ると、もう誰も何も言ってくれません。
仲の良い友達から助言を頂ける程度で、本当に孤独な音楽家人生になります。
あの世界のトップに立つゴルファーのタイガー・ウッズですら、毎日コーチが付きっきりで指導されているのにです。
自分がどんなに考えても、どんなに勉強しても、結局は自分を第3者として見られないと成長は非常に難しいです。だからこそ、多くの知り合いの方にいろいろと感想を言って頂けるのは本当に嬉しく、感謝しております。


もちろん僕はソリストとして生活をしてる訳ではありません。
オーケストラ、室内オーケストラ(ジャパン・チェンバー・オーケストラ、東京アンサンブル等)でほぼ5割、室内楽、ソロで4割、後の1割は音楽大学で教えたり、スタジオでのレコーディングの仕事で全てです。
ソロと言っても、バッハ、リサイタルが主で、コンチェルトを弾く事は1年に1度か2度でしょうか。


先日コンチェルトを弾いたあと、ソリストというのはほぼ毎週こんな仕事をするんだと改めてタフな仕事である事を実感しました。
しかも毎週曲が違ったりする訳で。それも活動の場が世界ともなると、移動という重労働があります。
僕は狭い日本中をふらふらしているだけでもかなりの重労働だと思っていますが、それが世界だったら、とても体力からして無理なような気がします。心技体、全て超一流でなければソリストと言われる職業は絶対に無理です。


先日バイオリンの諏訪内さんと話した時に、「コンチェルトは楽ですよ、1曲だけでいいんですから」と言ってました。
これなんです。世界のソリストは。


そんな僕が無謀にも今年度はあと3曲コンチェルトを弾かなければいけません。ドボルザークハイドン、そしてブラームスのドッペルコンチェルト。
友人達からはもちろん「無謀」と言われています。


それにしても思い返してもシューマンのチェロ協奏曲は信じられないほどの名曲でした。
二つのハーモニーをまたぐ一つの音、そのハーモニーが変わった瞬間にどれぐらいの弓のスピードの変化をつけ、ビブラートを変えるか、何日あっても時間が足りませんでした。
しかもそのハーモニーの複雑さがブラームスではなくマーラー達に引き継がれたとケント・ナガノさんは言っていましたが、本当にそのとおり普通の耳では聞き取れません。
だけど、それを複雑とは思わせないのがシューマンの凄さでした。
1楽章から3楽章まで、小節小節のハーモニーをピアノで弾くと、想像していたハーモニーと違う事に気づきます。その複雑さは本当に苦労しましたし、あの耳のいいシュナイトさんも、ほとんどの人間がこの曲のハーモニーは聞こえないんだ とおっしゃっていました。
去年、このシューマンのコンチェルトを弾くにあたってシュナイトさんに言われた事は、「シューマンはリートの作曲家だ。そしてピアノが頭に鳴ってオーケストラの曲を書いている。だから、わざと音程を低くしたり、音程を高目にとったりして、隠れている言葉を表現しなくてはいけない。長い音符はピアノの様に減衰しなければいけない」そういうアドヴァイスを頂きました。その音程をわざと低くとったり、高くとったりは複雑なハーモニーを理解しないととてもできるものではありませんでした。
このシューマンシリーズを終えて、シンフォニーにしても、コンチェルトにしても、さらにはチェロとピアノの為の曲にしても、勉強しなきゃいけない事がかなりわかってきました。
多分、世界的ソリストは、人に言われなくてもそういう事がわかってしまう方々でないとなれないのでしょう。
そういう事を教えてくれたシュナイトさんには本当に感謝しております。

先日のコンサートでは、体調不良が激しく、右手は感覚がないともおっしゃっていました。
だから、コンチェルトの時はほとんど何も振る事はありませんでしたし、演奏が終わって握手をする時でもあえて左手でしたのもそのせいなのです。
ドイツに帰国なさいましたが、ちゃんと医者にみてもらい、再び去年のように元気なシュナイトさんに早く戻ってくれる事を心から祈ります。

帰国される前にシュナイトさんは「お前と石田で来年ブラームスのドッペルコンチェルトがある。あれは難しい。それまでに本当にたくさん治さなきゃいけない身体の部分がある」とおっしゃってました。


ここにはとても書けませんが、そのときシュナイトさんに言われた言葉を誇りににチェリストとしてもう1ランク上を目指して努力したいと思っています。嬉しい言葉でした。


今日でシューマンの事を書く事は終わりです。