父の日

6月15日が今年の父の日ということらしい。
今まで父の日らしいことを僕は自分の父親にした事がありません。別にそういう世の中の流れに反発している訳ではないのですが、メールを書くか、電話をする程度です。しかもメールに書くにもどうやって書いていいのかわからない。
「父の日、おめでとう」なのかな。
それとも
「父の日、有り難う」なのか。
どういう言葉を書くのか未だに知らないでいる。だからいつも
「今日は父の日らしいけど、元気?」
みたいな感じでしか書きようがないんです。

そんな父が先日電話でこんな事を言っていた。
「最近、耳が聞こえなくてさ」
父は、昔から耳が良くなく、僕が小学生の時に手術をしているのだけど、成功はしなかった。
その手術は今はかなり成功率は上がっているみたいだけど、その当時の成功率は50パーセント程度と言われていた。
その父の耳が最近本当に良くないらしい。
僕は飛行機に乗って地方公演に出かける事が多いけど、たまに飛行機の中の気圧の変動で1日耳が詰まったような感じになってしまう事がある。そんな時は本当に憂鬱でたまらず、楽器を弾く事すら嫌な気分になる。
だいたい2日目にはポコッと言って突然治ったりするのだが、その治るまでは気分も陰鬱となるし、何とも言えない苦痛と不安感に支配される。全く楽器なんて弾く気にはなりません。
その詰まった感じの何倍もの苦痛を父は毎日味わっているのです。それも何十年も。
想像を絶する苦しさがあるはずです。段々聞こえなくなって来たと昔から言っていたし、なんとかならないものかと僕も思うだけで、何もしてあげられていません。

バッハのCDを作ろうと思ったのも、兎に角父の耳がまだ聞こえるうちにバッハを全部聴かせてあげたいと思っていたのは事実です。
7日のシューマン、父の日までには一週間早いけど、僕の演奏が良い悪いというより、名曲であるシューマンのチェロ協奏曲を父の日のプレゼントとして、聴いてもらいたいと思っている。

母親の姉である僕の叔母も子供の頃に聴覚を失い、今は全く聞こえない。
その辛さの度合いは本人にしかわからないと思う。
楽家でもベートーベンやスメタナ、またはフォーレなど、聴覚を失った歴史上の偉人がいるけど、それを思うと、僕の今の恐怖や苦しみなんて、かわいいものだと思う。7日が過ぎればともあれ終わる恐怖と苦しみなんて、苦痛のうちに入らない。

矢部くんに激励のメールを頂いて、白日夢だよあの曲は というくだりがありました。父親にとって一瞬でもシューマンが聞こえる白日夢であって欲しいし、僕にとってもそういうシューマンにしたいと思っている。

でも今年も父の日には「父の日だけど、元気かよ」としかメールに書かないと思う。