本当の事が知りたい

3月14日のジャパチェンのコンサートの第2部は、没後200年のハイドンづくしとなります。
ハイドンは人間的に演奏しなければならない。モーツアルトとは違う」
とはゲルハルト・ボッセ先生の言葉ですが、僕にとってそういう煌めく一言は勉強する時のバックボーンになります。
そういう煌めく一言ばかりを集めると一冊の本が書けそうなものだが、去年の暮れだったか宮本文昭さんにから聞いた言葉も、僕の心の中をガス灯のようにほんのり照らしている。
宮本さんがケルン放送響に在籍している時には当たり前ですが、何度もブラームスのシンフォニーを演奏したそうです。ブラームスのシンフォニーには本当に素晴らしいオーボエのソロが沢山出て来ます。それをもの凄い集中力とエスプレシーボでいつも緊張しながらも吹いてたそうです。そうしたらもう定年間近の古参の管楽器奏者に「文昭、お前は上手に演奏しているのはわかってる。でもブラームスのソロはああいう物ではない。もう火が消えたと思うような炭だが、中心部がまだほんのりと燃えている、そんな感じがブラームスの音楽だ」と言われたらしい。
影響を受けやすい僕もブラームスを弾く時は最近それを思い浮かべてはいる。
そういう本当の事をもっともっと知りたい。ブラームスの poco フォルテは少しだけフォルテという意味ではなく、心の中でのモルトエスプレシーヴォである様に、伝言ゲームの様に日本まで伝わるうちに曲解されて伝わって来た事が本当に多い。

ハイドンは人間的に、、、人間的にとはまた一つの哲学を提示されているけど、それが何を意味するのか考える事が非常に楽しい事だけど、あるときは苦しむ事にもなります。
毎日弾けた、弾けない、怖い、怖く無い、このアップダウンも非常に人間的であります。