長い沈黙、申し訳ありませんでした

そんなに頻繁にブログを更新している訳ではありませんが、今回は大変ご無沙汰しておりました。

実は、先月の半ばからぎっくり首と腕の痛みに耐えかね、仕事もキャンセルさせて頂き、療養をしていました。
その療養中の11月22日に母親が倒れました。その日のうちに実家がある名古屋に向かいました。とても厳しい状況である事は医師から言われていましたが、母親の精神力と医師の懸命の治療でなんとか奇跡が起こるのではと思っていました。何度か名古屋と東京を往復して、11月30日に再び名古屋に行きました。
そして12月2日の12時50分に母親は永眠いたしました。


奇跡はおきませんでしたが、あの最後の厳しい治療の中、本当に頑張ったなと思います。なにもしてあげられなかった、辛いです。
せめて一言だけでも母親に言葉をかけたかったし、言葉をもらいたかった。

せめて意識がある母親に「ありがとう」の一言だけでも言いたかった。

親孝行なんてまだ何もしてないのに。
あれだけ元気だったのに。いまだに信じられません。
あんなに泣いたのは生まれて初めてかもしれないな。



僕は仕事よりも危篤の母親の所に行く事を選びました。
母親はそれについては苦言を呈したと思います。苦言どころか、怒ったと思います。そういう母親でしたから。
それもわかっていたけど、オーケストラの方々に甘えて休ませて頂いた。自分の不調でキャンセルして、さらに母親の看病でも仕事を休んでしまった。
その事一つとっても母親にとってどちらを喜んでくれたかもわかりません。



お通夜、告別式と名古屋まで来てくれた矢部くん、鈴木学くん、双紙くんを始めとする都響の仲間、事務局長、ビオラの篠崎友美ちゃん、そして仕事で行けないからとお花もお香典も書留で送ってくれて、リサイタルで母親の為に「祈り」という曲をわざわざ弾いてくださった石田くん、お花をいただいた本当にたくさんの音楽家の仲間、先輩、そして先生、本当に有り難うございました。

音楽、お花、そしてにぎやかな事が大好きだった母親はきっと喜んでくれていると思います。それに、なにより母親が1番喜んだと思うのは、
僕や弟がそうやって名古屋まで駆けつけてくれる仲間や、コンサートで追悼で弾いてくれる仲間を持っていたという事だと思います。
沢山の友達からも励ましのメールを頂きましたし、本当に感謝しております。
喪主というものを、当たり前ですが初めて経験しました。
僕は小さい頃泣き虫で、母親に「そんなにすぐに泣くのは男じゃない、これをはきなさい」とスカートを着させられた事がありました。
お通夜、告別式と泣かずにいた事だけは母親は評価してるんじゃないかと思います。
でもその葬儀の前後は号泣でしたけど。
12月3日がお通夜で4日が告別式でしたが、本当に暖かく、雲一つない日でした。晴れ女をいつも自慢してた母親らしい日でした。


ブログにはとても落ち着くまでは書けませんでした。だから僕が首の故障でコンサートをキャンセルしたり、ブログをずっと書かなかったと思われていた方々も多いとは思いますが、本当に申し訳ありません。

母親が倒れた11月22日から今日までの2週間ちょっと、なにか夢の中の話のようです。
今日名古屋から帰ってきて、明日から仕事復帰しますが、まだまだ僕は一人になると泣き続けるんだと思います。



父親が一人残された事が本当に心配です。
誰よりも父親の健康を気遣っていたのが母親でしたから、それをしっかりと引き継ぎたいと思います。


すみません、今日は。

またゼロから頑張りますので応援よろしくお願いいたします。

有り難うございました。