山本裕康が選ぶ昨年のベストコンサート 第1位

これは手帳を見るまでもなく、この僕の出演したコンサートのベスト3を書こうかなと思った瞬間から当然1位になると思いました。念のために手帳を丹念にめくっていきましたが、どうしてもこのコンサートを超えるものはありませんでした。

さて

発表する前に理由をまず書きましょう。


このコンサートでは、最初から何かホールの中の緊張感というか、ホールの中の空気が一種独特な重さに満ちていました。ゲネプロが終わってから、何か今日はすごい演奏になる気がすると、漠然とですがそういう気持ちに僕は支配されていました。何か自分の力ではどうする事もできない力が降りて来るのではないか、という妙な自信と、その妄想に対する期待し過ぎている僕自身への警告の意味を込めた異常なほどの緊張感とが交差して、それは、一緒にいた矢部クンが「僕はヒロヤスが何がしかの重力を抱えて本番を迎えていた事は気づいていた」と後になって言っていたほどです。

そして矢部クンの言葉を借り、僕は何がしかの重力を抱えたまま本番に突入しました。
最初の曲の「コリオラン」序曲が始まり、吐き気がする程の緊張感と、まだまだ固い響きではあるけども、充実感に溢れたf-mollの響きはいままでやった「コリオラン」では経験した事がありませんでした。


そして2番のシンフォニー。
テンポは早すぎず、だからといって音楽は決して停滞する事もなく、オケ全体が一つの目的のテンポ、ハーモニーを目指し、若々しいベートーヴェンの魂が乗り移ったかの様な、しかも僕もこの曲を弾いている頃から、集中度合いが異常なほどで、ちょっと宙に浮いた感じすらあり、言葉ではなかなか言うのが難しいですが、何か自分が弾いているのか、会場の上からこのオケを見ているのか、そんな感覚でした。なのに、手応えはあるんです。


休憩後、第5番「運命」でしたが、それこそ20回以上30回未満は弾いている曲です。多分オケのメンバー誰しもがそれぐらいは弾いていると思います。
しかし、その運命は始まった瞬間から、僕は陶酔とトランス状態、覚醒状態、何が現実で、何が夢なのかわからない程の興奮状態と極度の集中した状態になりました。本当に1楽章では、これが、僕が予期していた自分の力ではない何かなのかなと思ったりしていました。さらに、2楽章では自分の夢にまで見た理想のテンポや、ハーモニー感の移り変わりが目の前で現実として行われている。
僕は指揮者を全く否定する人間ではありませんし、むしろ、素晴らしい指揮者にはどこか桃源郷のような所に連れて行かれる事も知っていますし、それを常に期待してオケをやっている所があります。
でも、このコンサートは指揮者無しでベートーヴェンを3曲やっていたのです。
なんでこの団体は僕が夢を見たようなテンポやハーモニー感、信じられない程徹底されているアゴーギクを決めてもいないのに共通の言語になっているんだろう?と夢のようでした。


他のメンバーがこのコンサートをどう思ったのかは全員に聴かないとわかりませんが、4楽章が終わりに近づいた時、心の中で(終わらないでくれ)(弾きながら死んでもいい時はこういう時だ)こんな事を想うに至りました。
そんな他ごとを想うのは集中してないんだろうと思われるかもしれませんが、他ごとを考えているのとは違う感覚なんです。心から(終わらないでくれ)と僕のどこかが叫んでいるという感じでしょうか?


まあ長く書きましたが、こんな瞬間を味わったのは本当に初めての様な気がします。
メンバーがあまりに素晴らしかったという事もあるし、やっぱベートーヴェンは凄いという事もあったのでしょう。
そして、いつもとは違う大阪であったという事、いろんな要素が重なり合って、ああいうコンサートになったんでしょう。
いまこうやって思い出しながら書いていても手に汗をかくぐらいですから。


そう、昨年の僕の出演したベストコンサートは


2007年10月10日
大阪いずみホール ジャパン・チェンバー・オーケストラ大阪公演
ベートーヴェン
「コリオラン」序曲
交響曲第2番
交響曲第5番「運命」

でした。
もし、この演奏会を聴きに来て頂けたお客様がいらっしゃいましたら、感想を聞いてみたいと思っていますので、よろしかったらコメントを頂けたらと思っています。


大阪の皆様、有り難うございました。