様々な想い

シベリウス作曲のフィンランディア交響曲1番と7番というプログラムの定期演奏会が終わって、余韻と言うのか様々な事に想いを馳せている。
実は1番も7番も演奏するのはもう20年近く前だと思う。
その時の7番の印象は「なるほどね、うーん」みたいな感じでしかなかったけど、今回演奏してなんとも胸に染み入ると言うか、今の自分の心に深く押し寄せる何かがあった。


それは年齢のせいなのか、世の中の出来事も含めた様々な事に翻弄されている最近の僕のうろたえた気持ちのせいなのかはわからないけれど、年齢のせいであるなら歳を重ねる事も悪くないなと思う。悪くないどころか、いいもんだなと。


とはいえ、昨日は僕の友達的お弟子さんが30代前半で亡くなって丁度1年になる。
そんな彼を思うと「年齢を重ねるのも良いものだ」なんて言えない。
昨年の彼が亡くなった日から、実はまだ全然立ち直れていない。
人生は長い短いではなく、どう生きたかだと思っていても、未だに悔しいし、悲しい。
彼が亡くなる直前にくれたメールを未だに読み直す。
それで励まされている。


彼を慕う高校の時のオケ仲間、中央大学のオケ仲間、そして務めていたキリンのオケ仲間が亡くなって1年が経ち、彼を忘れない為のオーケストラのコンサートを11月19日に板橋で行う。
そんな奴いないぜ。全く。
彼が中央大学のオーケストラ時代にドボルザークのチェロ協奏曲をやっているのだけれど、何故か僕がソロを弾いた。池袋の芸術劇場だった。
そんな事もあり、今回の1年のメモリアルでもドボルザークの協奏曲を弾く事になっている。


彼は去年再入院する直前に僕の家にレッスンに来ている。
「先生、新しい楽器を買ったら別人の様に上手に弾ける様になりましたからレッスンして下さい」
と電話がかかって来て。
全く上手になってもいなかったけど、ああいう気持ちが気持ちよかったし、それで来てくれる事が嬉しかった。
その後、ゆっくり経堂のイタリアンでご飯を食べていろんな話しをしたけど、本当にユーモア溢れる男だった。
「僕、発表会でソッリマのラメンタチオを弾きましたが、先生のラメンタチオより多分お客さんには印象に残る演奏だったと思います」と笑いながらその時も言ってたな。

ドボルザークの協奏曲で多少、いや、そこそこ大きなミスをしないと
「先生、いつも僕の事を『本当に下手だな』とおっしゃいますけれど、先生も口ほどにないですね」
という一言が聞けないな、と思ったりもする。
まあ、そんな事を調節出来る程の力もないから、いつも通り僕は弾くんだろうけど、それでも彼は
「先生も10年前から正直そんなに成長してないみたいですけど、大丈夫ですか?」
と言うだろうな。
そんな友達的なお弟子さんという関係はずっと僕がいなくなるまで続くと思っていたよ。


今年、君がいなくなったキリンビール本社のビール工場見学に行ったよ。
そして今度、いつもこれを聴いて手術に向かったというブラームスの1番を友人達が弾くから。
君が大笑いできるように僕も適度なドボコン弾くから。